壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板



吉田喜重「秋津温泉」:大戦末期の男女の恋愛劇



吉田喜重の1962年の映画「秋津温泉」は、頭のちょっと弱い女と、頭のかなりいかれた男との、支離滅裂な恋愛劇である。支離滅裂というのは、互いに惚れあっていながら、結びつくことが怖くて、かえって心中したほうがましだと思いながら、それでも結びつくことを求めて呻吟し、呻吟しているうちに年をとってしまうからである。その支離滅裂な恋愛劇が、岡山県の山間部にある秋津温泉を舞台にして展開する。秋津温泉そのものは実在しない。実在するのは奥津温泉である。

この映画は、岡田茉莉子がデビュー百本目を記念して企画したそうだ。自身が主演し、その演技が買われて賞をとったりしたが、お世辞にも名演技とはいえない。彼女は、こういうのもなんだが、地があっけらかんとしているので、演技しても演技にならないのだ。一方相方を演じた長門裕之のほうは、頭がいかれた感じをよく演じている。かれにはそもそもそういうイメージが付きまとっていたようなので、当たり役だったともいえる。

筋書きはごく平凡なので、あえて紹介するまでもないだろう。ひとつ興味をひくのは、戦争末期という時代設定で、軍人どもが山奥の温泉までおしかけてきえ、どんちゃん騒ぎをしたあげく、女を抱かせろと旅館の女将に強要したり、また、敗戦の日のいわゆる玉音放送に、岡田茉莉子が錯乱するところなどだ。岡田が錯乱した理由は、戦争に負ければ、男は殺され、女は強姦されると思い込んでいたからだろう。

岡山県が舞台なので、戦争末期の岡山空襲にも触れられている。この空襲で、長門演じる男は焼け出され、それで秋津温泉まで流れてきたのである。この空襲のことは、永井荷風も日記の中で触れている。荷風自身はその後、当時岡山県の山地に疎開していた谷崎潤一郎をたよったのだったが、この映画の中の男は、なんとなく秋津温泉まで流れていったのである。




HOME日本映画吉田喜重 次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである