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吉田喜重「戒厳令」:北一輝の半生を描く



吉田喜重の1973年の映画「戒厳令」は、北一輝の半生を描いた作品。吉田は、大杉栄をテーマにした作品とか戦後における日本共産党の盲動ぶりをテーマにした作品を作るなど、日本現代史に取材した作品をいくつか作っている。「エロス+虐殺」は、大杉栄をかなり戯画化していたし、「煉獄エロイカ」は日本共産党を誹謗するような意図を感じさせる。それに対してこの「戒厳令」は、北一輝という人物を徹底的に矮小化している。北をどう評価するかについては、政治的な見方を含めて様々だろうが、かれが日本近代史におけるある種の巨人であったということは、無視できるものではないので、それをこの画のように矮小化するのは、やはり問題があるのではないか。

この映画の中の北一輝は、基本的には自分のことしか考えぬ臆病者であり、にもかかわらず大物ぶって、財閥から金をゆすり取ったりするけちな人間として描かれている。北が日本近代史上に大きな影響を及ぼした彼の思想については、ほとんどこれを無視している。まるで北は思想とは縁のない、ただのたかり屋と言わんばかりである。何を根拠にしてそういう描き方をするのかわからぬが、(渡辺京一はじめ)北一輝の真面目な研究者が見たら、噴飯物と思うのではないか。

吉田は、大杉や日本共産党など左翼を貶めるだけでは片手落ちと考えて、この右翼の大物も貶めの対象に加えたつもりなのであろうか。とすれば、彼なりのバランス感覚のもたらしたものということになるが、それにしては粗末な感覚である。

北一輝は、その思想が二・二六事件の首謀者たちに影響を及ぼしたとは言えるが、自身が事件にかかわっていたわけではない。まして、五・一六には全くかかわっていない。かかわったのは大川周明である。その大川は出てこず、まるで北を中心にして五・一五のクーデタ計画がすすめられたかのような描き方である。

色々な点でお粗末だし、また変な意図を感じさせる作品である。




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