壺齋散人の 映画探検
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崔洋一の映画:作品の解説と批評


崔洋一は在日コリアン二世である。そういう出自を強く意識したのだろうか、彼の映画は日本社会におけるエスニック・マイノリティをテーマにしたものが多い。というより、彼の代表作と見なされる作品は、すべて日本におけるエスニック・マイノリティをテーマにしたものばかりだ。崔洋一の最も崔洋一らしさが出ている映画は、1993年に公開された「月はどっちに出ている」だが、これは日本における在日コリアンを主人公にして、その恋人にフィリピン人女性を組ませたものだ。その彼らが、日本という、ある種不寛容な社会で、けなげに生きているところを描いたこの作品は、色々な意味で、日本社会のあり考えさせるものであった。

崔洋一の出世作となったのは、1989年の映画「Aサインデイズ」である。これは、本土復帰直前の沖縄を描いたものだが、当時の沖縄の人びとは、米軍の占領下にあって、日本社会から見捨てられていた。だから、エスニック・マイノリティどころではなく、国を持たない人々だったわけだが、彼らをそういう境遇に追いやったのは、ほかならぬ日本社会である。日本社会は、沖縄の人々を、ある種のエスニック・マイノリティとして疎外することで、自分たちは安穏に暮らしていられた。そういった理不尽さに対する、エスニック・マイノリティの一員としての崔の怒りが、この「Aサインデイズ」という作品からは伝わって来る。

1998年の映画「犬、走る」は、東京新宿を舞台に、そこに生きている在日コリアンら外国人を、日本の警察が取り締まるところを描いた作品だが、この中の在日外国人は、まともな人間としては描かれておらず、取り締まりの対象でしかない、異質な人間集団として描かれている。そういう描き方を通して、崔は、表立っては共感を求めてはいない。これが現実なのだといった冷めた視線が伝わるようになっている。そいう言う点で崔は、センチメンタルとは縁遠い映画作家と言える。

1999年の映画「豚の報い」は、奄美列島のある島を舞台にした作品だが、奄美列島の人びとも、やはり本土の日本人にとっては、他者としての位置づけになっているということが伝わるように作られている。こういう映画を見せられると、日本人と言うのは、幾重にも他者を自分のまわりに巡らしながら、それを通じてかすかに日本人としてのアイデンティティにしがみついている、ある種情けない民族だというような主張が伝わって来る。

2004年の映画「血と骨」は、ビートたけしを主演に据えて、在日コリアンの半生を描いたものだが、この映画の中の在日コリアンの主人公は、人間の衣を被ったけだものというべきひどい存在として描かれている。その人間像があまりにもえげつないので、在日コリアンである崔洋一が何故、同じ在日コリアンである主人公を、こんなにもひどい人間として描いたのか、観客はその意図について考えさせられるのである。

以上、崔洋一の映画は、色々なメッセージに富んでいて、一筋縄では評価できない。ここではそんな崔洋一の代表作を取り上げて、鑑賞のしながら適宜解説・批評を加えたい。


崔洋一「Aサインデイズ」:沖縄の青春群像

崔洋一「月はどっちに出ている」:日本社会のエスニックな要素


崔洋一「犬、走る」:日本社会のエスニック・マイノリティ

崔洋一「豚の報い」:沖縄の風葬

崔洋一「血と骨」:在日コリアンの半生



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