壺齋散人の 映画探検 |
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イングマール・ベルイマンの1978年の映画「秋のソナタ(Höstsonaten)」は、母娘間の葛藤をテーマにした作品である。ベルイマンはこの映画をノルウェイで作ったのだが、それは当時色々な事情でスウェーデンにいられなかったためで、映画自体はスウェーデン語で語られており、スウェーデン人の母娘関係がテーマということになっている。もっとも、画面の中にはフィョルドの風景なども出てきて、ノルウェイを感じさせる部分はある。 長い間別々に暮らしていた母娘が七年ぶりに再会する。娘のほうから、母に向かって呼びかけたのだ。リブ・ウルマン演じるその娘は、単に母に会いたい一念で招待したのだと思うのだが、やがて母娘は深刻な対立に陥る。久しぶりに会ったというのに、母親は自分のことばかり話して、母娘の絆を確かめるようなことは一切しない。そうした自分勝手な母親の振舞いが、娘に母親への嫌悪感を露わにさせるのだ。 母親がやってきたその夜のうちに、娘は母親を激しく非難する。母親がいかに子供時代の自分をスポイルしてきたか、これでもかこれでもかと畳みかける。娘は、妹の面倒もみているのだが、その妹は、難病が原因で施設にあずけられていたのを、姉が引き取っていたのだった。そのことについても姉である娘は母親を責める。しかも妹が病気になったのも母親のせいだというのである。 そんな具合でこの映画の大部分は、娘が母親を責める場面からなっている。その責め方が尋常ではない。相手の人格を徹底的に否定するような責め方なのだ。実の娘から思わずそんな扱いをされ、思い極まった母親は、自分が非情な人間に思われるのは、自分自身の育ちたかに問題があったからだと弁解する。自分も母親から愛されたことがない。だから、自分の娘を愛することもできない、というのだ。要するに家族内の病理は世代を超えて相続されていくということであろう。 とにかく、見ていて気の滅入るような映画である。ベルイマンにはもともと、人間の心の深層をあぶりだそうとするような傾向があるが、この映画には、そうした傾向が極端な形で表れている。こんな映画を見せられると、ベルイマンは基本的には人間嫌いだったのではないかと思わせられる。 母親を演じたイングリッド・バーグマンにとって、これが最後の映画となった。この時彼女は63歳だった。アップで映るとさすがに年を感じさせるが、遠目に見ている限りはまだ美しさが残っている。なお、タイトルの「秋のソナタ」は、母娘が一緒にひくピアノの音を連想したものだろう。その際に演奏されていたのは、ショパンのプレリュードであった。 |
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