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ヴィム・ヴェンダースの映画:作品の解説と批評

ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)はドイツ映画を代表する監督である。出世作は1974年公開の「都会のアリス」で、以後「まわり道」、「さすらい」と続くいわゆるロード・ムーヴィー三部作によって注目を集めた。70年代のドイツ映画を席巻したしたニュー・ジャーマン・シネマ運動の代表選手と言われたものである。

ニュー・ジャーマン・シネマとは、60年代後半からアメリカで沸き起こったアメリカン・ニュー・シネマを意識した表現だったわけだが、アメリカン・ニュー・シネマとはかなり趣を異にしていた。アメリカン・ニュー・シネマは、同時代のアメリカ社会に対する批判的な視点を強く感じさせたものだが、ニュー・ジャーマン・シネマには、同時代のドイツ社会に対する批判的な視点というか、政治的な意識を感じることはほとんどない。その頃のドイツは、東西に分裂しており、東側への対抗上、自国を批判的に扱うことがはばかられていたのだろう。

そうした傾向のニュー・ジャーマン・シネマのなかで、ヴィム・ヴェンダースの作品も、あまり政治的な傾向は感じさせない。とくに初期の代表作となったロード・ムーヴィー三部作では、ドイツ社会に対する批判意識はまったくないと言ってよく、もっぱら情緒的な雰囲気を強調することに徹している。その点では、ロード・ムーヴィーにも社会的な視点を盛り込んだアメリカン・ニュー・シネマとは大きく異なる。たとえば「イージー・ライダー」とヴィム・ヴェンダースの三部作を比較してみるだけでも、その相違は明白だ。

しかし、そのヴィム・ヴェンダースも、21世紀に入ると社会的な視線を感じさせる作品を作るようになる。「ミリオンダラー・ホテル」とか「ランド・オヴ・プレンティ」といった作品はその代表的なものだが、それらは同時代のドイツではなく、アメリカが舞台である。つまりヴェンダースは同時代のアメリカを批判することで、自分自身の政治的意識を満足させたといえなくもない。

同時代の外国を舞台とした映画に「誰のせいでもない」がある。これはカナダを舞台にした映画で、ある作家があやまって子どもをひき殺したのだが、その責任を、法的にも道義的にもせめられることがない。子どもの母親さえかれを責めない。子どもが死んだのは、自分が注意不足だったためだといって、かれを責めることがないのである。こういうあり方は、日本人には全く理解できない。ドイツ人にとってもそうだと思う。だから遠い外国のこととして描いたのではないか。そんなふうに思われてもしかたがない。

ヴィム・ヴェンダースは日本への関心が高いことでも知られており、日本をモチーフにした映画も作っている。「東京画」はその代表的なもので、これは小津安二郎へのオマージュという側面ももっている。小津を材料にしながら、古き良き日本と現代の日本とを対比させるような演出をしている。それを見ると、日本人はなんとなく浅はかな人間として描かれており、その画面からは、日本人は文明化された野蛮人であるというような主張が伝わって来る。

ヴェンダースは日本をドキュメンタリー・タッチで描く一方、別の国に出かけて行ってドキュメンタリー風の映画を作ったりもしている。「リスボン物語」はその代表的なもので、ある。これはある映画スタッフがリスボンの生活音を収集するという設定だが、音源を通じて、リスボンの観光案内にもなっている。

このサイトでは、そんなヴィム・ヴェンダースの代表的な作品を取り上げて、鑑賞のうえ適宜解説・批評を加えたい。


ヴィム・ヴェンダース「都会のアリス」   少女と中年男とのある種故郷探しの旅を描くロード・ムーヴィーの傑作

ヴィム・ヴェンダース「さすらい」  大型トラックでドイツの映画館巡りをする技師のさすらい

ヴィム・ヴェンダース「ことの次第」  映画製作のひとこまを描く

ヴィム・ヴェンダース「パリ、テキサス」 アメリカ・テクサスのパリを訪ねる旅

ヴィム・ヴェンダース「東京画」  小津安二郎へのオマージュ

ヴィム・ヴェンダース「ベルリン、天使の詩」  ベルリンの一角に落下した天使の物語

ヴィム・ヴェンダース「ミリオンダラー・ホテル」  アメリカ西部の安宿

ヴィム・ヴェンダース「ランド・オブ・プレンティ」  アメリカ社会のイスラムへの敵意

ヴィム・ヴェンダース「誰のせいでもない」  風化する良心

ヴィム・ヴェンダース「リスボン物語」  リスボンの生活音探し



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