壺齋散人の 映画探検
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ヌーヴェルヴァーグ映画:代表作の解説と批評


フランスのヌーヴェルヴァーグ映画の運動は、1950年代の末から60年代にかけて多くの作品を生み出した。その割には、運動の内容とか特徴はいまひとつ明らかではない。ヌーヴェルヴァーグという言葉自体は、フランスの週刊誌「レクスプレス」が、1957年10月3日号で、「ヌーヴェルヴァーグ来る」というキャッチフレーズを紹介したのがきっかけで広まり、それ以後、50年代の末以降に出現した新進監督を総称するような意味で使われていた。したがって、彼らに共通する特徴とか、意義とかを指摘するのはむつかしいとされている。

今日ヌーヴェルヴァーグの傑作と評価されている作品が出現したのは1959年のことで、この年、フランソア・トリュフォーの「大人は判ってくれない」、ジャン・リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」、クロード・シャブロルの「いとこ同士」が相次いで公開された。ヌーヴェルヴァーグというと、これらの作品から本格的に始まるというのが、今日での主流の見方であるが、ルイ・マルの1956年の作品「死刑台のエレベータ」やロジェ・ヴァディムの同年の映画「素直な悪女」をヌーヴェルヴァーグの先駆的な作品とする見方もある。

「大人は判ってくれない」は、子供の視点からフランス社会を批判したものであり、「勝手にしやがれ」は若い男女の恋のやりとりを描いたものであり、「いとこ同士」は青春賛歌といった趣の作品だった。したがって、これら三作に共通する傾向を指摘するのは、ほとんど無意味に近い。ということは、ヌーヴェルヴァーグは、映画の持つ内容の共通性に基づく呼称ではなく、ある一定の時代の、つまり1950年代の末から60年代にかけてのフランスの映画を、便宜的に呼称したというのがふさわしいようである。

トリュフォー、ゴダール、シャブロルの三人は、それぞれ映画についての一家言をもっており、「カイエ」といった映画雑誌を通じてそれを表明してもいた。それらを読むと、従来の映画の伝統にとらわれず、新しい映画の可能性を追求しているといったところが指摘できる。彼らが新しい映画の条件として持ちだしたのは、ロケ撮影中心とか即興演出の重視とかいったことで、そういう傾向は、たしかにこの時代のフランス映画には指摘できるようである。だが、映画の内容上の傾向とか、技法上の新しさといったものは、ほとんどないのではないか。その意味では、内容を伴なわない空疎な運動だったとの批判を許すところがある。

ヌーヴェルヴァーグ運動の下限についても異説が多いが、早くて1963年、遅くとも1967年には、運動としては終焉したというのが大方の見方である。1967年は、カンヌ映画祭の粉砕事件が起きた年であり、またヌーヴェルヴァーグの牽引車と見られていたトリュフォーとゴダールが仲たがいして、運動の旗印がなくなった年でもあった。そこでここでは、ヌーヴェルヴァーグ映画と言われるものの代表的な作品を取り上げて、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたいと思う。



大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups):フランソワ・トリュフォー
ピアニストを撃て(Tirez sur le pianist):フランソア・トリュフォー
突然炎の如く(Jules et Jim):フランソワ・トリュフォー
華氏451:フランソア・トリュフォ
勝手にしやがれ(À bout de souffle):ジャン・リュック・ゴダール
軽蔑(Le Mépris):ジャン=リュック・ゴダール
気狂いピエロ(Pierrot Le Fou):ジャン・リュック・ゴダール
小さな兵隊(Le petit soldat):ジャン・リュック・ゴダール
素直な悪女(Et Dieu créa la femme):ロジェ・ヴァディム
いとこ同志(Les cousins):クロード・シャブロル



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